2010年05月14日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (いよいよ帰国、そして、まとめ)
4/24土曜日、12日目。昨日、ホテルに帰ってから「帰国は明日になるらしい。」と聞かされていました。そして今朝の朝食後、正式に、「今日のフランクフルト14:10発、LH-740便で関空に帰れる事になりました。ホテルのチェックアウトの最終が11:00ですからそれまでに出発準備とチェックアウトを済ませておいて下さい。」と連絡されました。結局、リスボンで1泊とフランクフルトで2泊の延泊です。覚悟してたよりずっと早く帰られます。
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今回のアクシデントは自然災害で、誰かの瑕疵によるものではないので追加の費用は自己負担です。入っていた保険の保証内容にも含まれていません。でも、最小の出費で押さえられ、リスボンやリューデスハイムの観光というおまけまで付けて頂いたのですから、これはラッキーだったと思えます。これらはすべて添乗員さんのお陰です。
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振り返ると、ツアーによる団体行動の観光は、窮屈で疲れるしつまらない事や、団体行動では意図したように写真は撮れない事を再認識させられるツアーでした。足止めがなく普通に恙なく終わっていたら欲求不満満載で「この会社のツアーには二度と参加しないぞっ!」と思ったことでしょう。
ユネスコの世界遺産も、あまりに沢山、隙間なく詰め込まれ次々と連れ回されると、いくら丁寧に解説されても飽きてしまってありがたみがありません。「もっと自由を!」と叫びたくなりました。
また、写真を撮ろうと構えると、決まって前に割り込んで来て譲らない方がいたり、雰囲気を捉えたいのに、日本人の集団が溢れていてシャッターを切れなかったり、自分がその集団の一員だから仕方ないのだけれど「やっぱり個人でないとダメか!」と、あきらめてしまいました。
とは言え、添乗員さんには大変お世話になりました。もし1人でこんな事態に遭遇していたら、「持っている航空券はどうなるの?」とか「ホテルをどうしよう!」とか情報収集をするにも言葉が通じず、足止めをを楽しむどころか不安で心細い日を過ごしていたことでしょう。今後、旅行をする時どうしようかと考えるところです。そして、今回はこれ位の足止めで済みましたが、いつ何が起こるか分からないから、お金や下着など、特に常備薬は余裕を持って準備しておいた方がよい事も・・・。
フランクフルトの空港で免税手続きをし荷物を預け、セキュリティーチェックと出国審査。その後免税分のユーロを受け取りに。
空港内にはニュースで見た仮説ベッドが未だ並んでいましたが利用されているベッドはまばらでした。その後ラウンジで搭乗まで待ちますがラウンジ内は大混雑でした。
免税で返金されたユーロは、機内で最後のお買い物、自分用のお土産にトイカメラを買いました。ミノックスのDSC、149ユーロでした。国内では3万5千円前後で売られています。ほぼ使う事は無いでしょうが、旅行の記念として大切にとっておこうと思います。
投稿者 k444776 : 10:38 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月13日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (おまけのフランクフルト)
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4/23金曜日、11日目。滞在がリスボンからフランクフルトに移っただけで、いつ帰国出来るのか、この先の事態は何も進展していません。で、ツアーの内容になかったドイツ観光(正確にはフランクフルト観光)が追加されることになりました。「今日はリューデスハイムに行きましょう」。これは添乗員さんのサービスです。「添乗員さん、ダンケシェン!」です。
フランクフルト中央駅には各自で行きます。ほぼ全員ホテルの前のバス停から路線バスで出かけましたが、昨日の散策であまり遠くない事を突き止めていたので、我々はホテルにあったパンフレットの市内地図を片手に、散歩がてら朝の街を観察しながら徒歩で向かいました。
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フランクフルト中央駅から列車でリューデスハイムへは、途中ヴィースバーデン駅で進行方向が逆になり、約1時間で到着です。
ライン渓谷中流上部にあるリューデスハイム。現在では観光の町として知られていますが、古代ローマ時代からブドウの栽培地として栄えた、ドイツを代表する白ワイン醸造の町です。 メインストリート「つぐみ横丁」には、およそ150mの狭い路地にワイン酒場やみやげ物店が並び、観光客で賑わっています。
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遅い昼食でお腹はペコペコ、つぐみ横町の突き当たりのレストランカフェで、たっぷりのポテトが添えられたソーセージとこれから旬のホワイトアスパラを頂きます。飲み物に地元の白ワインとドイツビールのどちらを選ぶか悩ましいところですが、ここはやはり白ワインを頂くことにします。お腹がすいていた事もあって、ボリュームたっぷりの料理は美味しく完食いたしました。
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リューデスハイム駅を出た時から気になっていた、葡萄畑の上を行くゴンドラ、空があまりにきれいだったので、乗ってみようということになりました。ゴンドラで葡萄畑の上を通って、ニーダーヴァルト展望台へ到着します。眼下には一面の葡萄畑と、そのむこうには雄大なライン川の流れが一望でき絶景でした。ニーダーヴァルトの記念碑は1871年のドイツ統一を記念して、1883年に建てられたゲルマニアの女神像だとか。
投稿者 k444776 : 10:38 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月12日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (フランクフルトへ)
4/22木曜日、10日目です。手持ちのユーロが心細くなって来たので昨夜ホテルで換金したし、現金とカードを使い分ければしばらくは大丈夫でしょう。下着は夜に洗って干せば何とかなるし街で買う事も出来ます。後は残りの常備薬をどのように持たせるのかが心配ですが、隔日にすれば何とかなるでしょう。「滅多にない経験だから、おまけのポルトガルを楽しもう」と覚悟を決めます。
ところが、朝食後、事態は急変します。「本日、今からフランクフルトへ移動して、そこで待機することになりました。」「12:15のフライトです。よってホテルを9:15には出発出来るように、それまでに荷物を整理して、チェックアウトを済ませておいて下さい・・・!」。
急いで部屋に戻り出発準備をします。オビドス、ナザレの観光、鰯の塩焼きやお刺身とお寿司の夕食が何処かに吹っ飛んでしまいました。決まるとなんと慌ただしい事でしょう。帰国に近付いているはずなのにちっともうれしくありません。
空港は、リスボンもフランクフルトも特に混乱している訳でもなく何時もと何ら変わらない様子です。昼食はリスボンの空港内のキオスクで買ったスナック菓子とジュースでごまかしましたが、後ほど機内でクッキーとドリンクの簡単な昼食(?)サービスがありました。
フランクフルト空港で現地のガイドさんに迎えられ、ホテルに夕食のダイニングがないし、食事出来る所までは結構距離があるからと、空港内のマーケットで夕食を仕入れてからバスでホテルに向かいます。夕食には、よく分からないので、ドイツパンに野菜などをはさんだサンドウィッチ(?)と水を購入しました。お刺身とお寿司の夕食とは大違いです。
連れて行って頂いたホテルは、街の中心からやや離れたホリデーイン・××××。昨夜までとはかなりグレードが違いますが、何泊になるか分からないし、出費を考え空港の仮設ベッドと比べたりすれば十分満足です。
空港で買ったサンドウィッチの夕食をそそくさと済ませ、「疲れたので一寸横になる」と言う妻を残して「まだ明るいから」と、一人で辺りの散策に出かけました。リスボンと1時間の時差、今は何時になるのでしょうか。外はサラリーマンの引け時のようでした。
投稿者 k444776 : 14:05 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月11日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (おまけのリスボン)
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4/21水曜日、第9日目。
計画では今日の朝食は空港に向かうバス内で弁当のはずでしたが、連泊が決定しているので昨日通りホテルで頂きます。7:00にロビーに集合し、今後の成り行きについて添乗員さんからの報告を受けますが、特に変わりはない様子。添乗員さんはホテルと空港を何度か往復して情報を収集しているようでした。
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それで、添乗員さんの助けを借りてツアー参加者で相談の結果、「今日は添乗員さん同行で市街地に出かけ、市街地は各自自由行動、ホテルへは各自で帰りましょう。」そして、添乗員さんの提案で「明日は、中部のオビドス、ナザレに出かけて名物の鰯の塩焼きを堪能しましょう。」と決めました。こんな時ベテラン添乗員さんで良かったと思います。ツアーやその企画会社、添乗員さんの評価は非常事の対処の仕方によって決まりますね。
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決められたコースをガイドさんの案内でたどっていくのは窮屈で疲れます。勝手な行動は迷惑になるので、集団行動のルールには従いますが楽しくありません。むしろ、無目的無計画に街をウロウロしているだけの方が、珍しいものを見つけたり、予期せぬ幸運に巡り会えたり、時にはハラハラドキドキもしますがその方がよほど楽しいと思えます。
ひょんな事からそんなチャンスが転がり込んで来ましたが、帰国するまではツアーの一員、誰かに迷惑の掛かるような無茶は出来ませんし、妻が一緒なので気を使います。でも、それなりに楽しめました。
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今晩から夕食は各自調達です。
昨日、バスがホテルに到着する手前で「近くに有名な和食レストランがありますよ。」とガイドさんが言っていたのを思い出します。今晩は久々に和食にしようと妻と相談して早々に決めました。
添乗員さんに行き方を教えてもらってそのレストランに行きました。するとどうでしょう。ツアーの他の参加者も何組か来ています。みんなそろそろ和食が恋しくなっていたのですね。メニューは天ぷら、お刺身、すき焼きにお寿司からうどんまでそろっています。妻と2人で天ぷら定食とすき焼き定食をシェアして頂きましたが、味は日本国内で頂くものと遜色なく大変美味でした。明日はお刺身とお寿司を頂こうと決めホテルに戻りました。
投稿者 k444776 : 19:43 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月10日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (リスボン)
4/20火曜日、8日目。本来なら今日が観光の最終日で、明朝リスボンを発ち、フランクフルトでトランジット、一路関空へ、明後日早朝には関空帰着のはず。が、アイスランドの火山噴火のお陰であと数日(多分3泊位)このホテルに足止めとか。しかし事態は刻一刻変化しているのでそれは決定ではないらしい。ホテルの近くに空港があり、昨夜来飛行機は結構飛んでいます。ダメなのはリスボンの空港ではないのでしょう。
今日は、今回のツアー最後のリスボン観光が残っています。久々に天気も良いことだし楽しむことにします。
8:30にホテルを出発、バスで30分弱、かつての水上要塞ベレンの塔に到着。写真をパチパチした後、発見のモニュメントへ移動します。大航海時代に活躍した英雄達の像の乗った船の型をしたモニュメントが海に突き出すように建てられていて、その前の広場には、かつてポルトガルが到達した国々とその年代を記した地図が描かれています。日本には1541年とありました。隣のヨットハーバー越しにこれから訪れるジェロニモス修道院が見えます。
ジェロニモス修道院は大航海時代の富によって建てられた豪華な修道院です。中にはヴァスコ・ダ・ガマと詩人カモンエスの棺があって、ヴァスコ・ダ・ガマの棺の前で地元の小学生達が先生だか学芸員の方だかの説明を聞いていました。
天正少年使節団が立ち寄った記録も残されていて、日本とは古くからお付き合いのあるお馴染みの国なんだと親しみが湧いてきます。
近くにあるお菓子屋さんのエッグタルトが美味しいとかで、みんなでぞろぞろ買いに行きます。その後バスに戻りこのお菓子をほおばりながらシントラ宮殿に向かいました。味はうわさ通り、なかなかのものでした。日持ちしないのが残念です。
シントラ宮殿は15世紀初頭から19世紀後半にかけポルトガル王家が住んだポルトガルで最も保存状態の良い中世の王宮跡だそうですが、王宮にしてはこぢんまりしていて質素に感じました。ここにも天正少年使節団が立ち寄った形跡が残されていました。
昼食後、ロカ岬へ向かいます。本来今日は、ロカ岬が午前でリスボン市内を午後観光するはずだったのですが、ここの所のポルトガル経済の低迷で、公務員の給与のカットや消費税のアップなど生活を圧迫する政府の決定に、高給をとる一握りの高級官僚に対する不満が爆発し、抗議するデモが午後から市内で計画されているとかで変更になりました。国民のほとんどが公務員のポルトガル、いつもは大人しく温厚な国民性なのに、あまりにひどい政府のやり方にいたたまれずのことだとか、ガイドさんが説明していました。
ロカ岬はユーラシア大陸の最西端、水平線は大西洋。
投稿者 k444776 : 09:53 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月09日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (セビージャ・エヴォラ)
4/19月曜日、多分7日目。6:00頃起床。カーテンを戻し窓を開けます。冷気が心地よく目覚めたばかりで未だ眠い体を覚醒させます。辺りは徐々に明かりが差し、白い雲がゆったり静かに微かばかりうねりながら広がって行きます。雄大な光景、かつて見た中世の騎士達が活躍する大スペクタクルシネマの一シーンを彷彿させます。飛行機が飛ばない事や、だからいつ帰れるのか分からない事など、もうどうでも良い事のように思えて来ます。
今日のスケジュールは、アンダルシア最大の町セビージャへ、そして2時間ばかり観光の後、昼食を摂ってポルトガルへ向かいます。スペイン滞在最後の日です。
セビージャでは、カテドラルでコロンブスの墓や主祭壇を見て、ヒラルダの塔の螺旋の坂をぐるぐる上り鐘楼へ、そしてセビージャの街を一望。その後アルカサールへ。
石造の寺院やお城は何処もみな重厚で、その室内や祭壇は荘厳かつ煌びやかではありますが、異教(異郷)の私にとっては、どれもみな同じようなゴシック建築だしイスラム芸術の豪華な宮殿でしかなく、あまり違いが分かりません。見学した所の数が増えて来る分、頭の中の整理が着かなくなって、こんがらがってしまいます。
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午後はポルトガルへ移り「ありがとう」が「グラシアス」から「オブリガード」へ。エブォラで、またもカテドラルや城壁を見学しますが、イベリヤ半島と言う括りでは結局ここも同じです。それよりも、街で見かけた、普通の人々の何でもないだろう日々の生活の様子や、いつもと変わらないだろう街角の光景にこそ興味を覚えます。そして鮮明な記憶になって脳に焼き付いていきます。
投稿者 k444776 : 11:08 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月08日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (ミハス・ロンダ)
4/18日曜日、第何日目になるのかそろそろあやふやに。多分6日目。今日は、スペイン南部の地中海に沿う海岸コスタ・デル・ソルを経て、ヨーロッパ各地の金持ちたちの別荘の立ち並ぶミハスへ。そこで観光と昼食の後、標高800mの台地にあるロンダへと比較的ゆとりのある計画です。
今朝のテレビでもアイスランドの火山噴火と航空網まひのニュースが長い時間掛けて報じられています。またもや今日も雨。この連日の雨もアイスランドの火山噴火が何かしら影響してのことでしょうか。そして、ミハスに向かう車中で添乗員さんから「我々にも確実に影響あること。そして今は不明だか、最悪、空港で数泊する覚悟がいるかも知れないこと。」を知らされました。
道中、幹線道路で交通事故を目撃しました。雨の中、スピードの出し過ぎか、スリップかハンドルの操作ミスでしょう、道路脇の何かに衝突したらしい単独事故のようです。直後を走っていた数台の車が止まり、負傷したドライバーを救出し道路脇に寝かせ事故処理をしていました。警察は未だ到着していない様子です。
アンダルシアでは強烈な太陽の日差しを遮るために道を細くし、窓を小さくとり、壁を白く塗ることによって、建物に入る熱を抑える工夫をしているって・・・、「強烈な太陽は何処へ行ったっ?」。また雨傘を差しての散策です。
展望台のある駐車場に、アーモンドを蜂蜜で絡めたお菓子を売る屋台があって、そこのおじさん、日本語がペラペラで日本人観光客に人気があるのだそうです。みんなここに寄って試食をしてから観光に出かけるのだとか。そのお菓子は予想通りの味で不味くなかったですよ。妻は、バレンシアで買い損なったリャドロを購入。事前に雑誌でチェックしていた新作を買えたので上機嫌ですが、「雨の中、この荷物誰が運ぶの?」。
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ミハスからさらに、曲がりくねった山道をバスで約2時間、ロンダに到着。途中、車窓からは石灰岩の山肌が、秋吉台が足下にも及ばない大スケールで広がり、荒れた地肌の所々に羊や牛馬が放牧されているのが見られます。
到着後すぐに本日の宿、パラドール・デ・ロンダにチェックインです。このホテルは今回のツアーの目玉の一つとか・・・。パラドールとは、スペイン国有の施設を民間が運営するホテルで、古城や旧領主の館、豪族の邸宅や修道院等を改造した建物だったり、海岸や山岳地にあるリゾートホテルであったり、また、史跡の町や景勝地等にあるなどのグレードの高いホテルだそうです。
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今回我々が宿泊するパラドール・デ・ロンダは、1761年に建てられた市庁舎を利用したホテルで、切り立ったタホ谷の絶壁の上に建ち、客室からの眺めは絶景です。我々の部屋は角部屋でタホ谷の裾に広がる絶景とヌエボ橋の両方が望め最高でした。夕食はフルコース・ディナーを、一寸だけおめかしして頂きました。
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ヌエボ橋で新旧の町を隔てています。食事の前に新旧両市内を散策しました。
ロンダは近代闘牛の創始者フランシスコ・ロメロが生まれた町で、その闘牛場はスペイン最古のものだとか。訪れたスペインの町には大抵、闘牛場がありましたが、今回のツアーでは参加者が高齢な為か、開催がなかったからか闘牛観戦は一度もありませんでした。
投稿者 k444776 : 11:47 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月07日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (グラナダ)
コルドバを2:00過ぎ出発、5:00前にアルハンブラ宮殿に到着。その頃にはまた雨が。ここで1時間余り見学ですが、今ひとつ気乗りしません。本当に天候に恵まれない旅行です。
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そこで出迎えたガイドさん、何故かKさんと言う日本名を持つスペインの男性でした。
このKさん、悪ふざけが過ぎます。日本語は上手ですが、訳の分からない冗談を言うし、他のグループの人にちょっかい掛けるし、ガイドさん同士スペイン語で無駄話をするし、そのくせ時間が無いとかで急がせ端折るし調子に乗り過ぎです。グラナダ王国を統治した歴代のイスラムの王たちが愛し、心血を注ぎ、最後まで手放したくなかった宮殿なのに、私の「アルハンブラ宮の思い出」はタレガとは違って散々でした。で、バスに帰る頃には雨が上がっていました。
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アルハンブラ宮殿の向かい、アルバイシン地区からさらに奥に入ったサクロモンテ地区、かつてはジプシーの居住区で岩山に穴を掘って住居としていました。いつの頃から、この住居を舞台にフラメンコショーを見せるようになったのでしょう。かつてテレビで見たよりも、プリミティブで力強い感じで迫力ありました。妻は「衣装が地味!」と不満げです。
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ショーを見たのはこの「LOS TARANTOS」、ここを出て通りへぶらりぶらり。天気が芳しくないからか星は見えません。街灯が所々を照らしていますが辺りは真っ暗です。ショーを見終え浮かれた客の甲高い声だけがひびきます。迎えの車を探しているのでしょうか。車のヘッドライトに照らされた路面が浮かび上がります。
投稿者 k444776 : 15:23 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月06日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (AVE コルドバ)
4/17土曜日、5日目。今日はマドリッド、アトーチャ駅からAVEで南下しコルドバへ。コルドバでメスキータ、ユダヤ人街、花の小径を巡り、午後からはバスでグラナダへ。そして、アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ庭園を見てホテル。夕食後、夜は洞窟フラメンコショーにと盛り沢山で大変ハードなスケジュールです。時差ぼけもそろそろ解消し体はついて行けそうですが、頭の方が消化不良起こしそうで、ついて行けるか心配です。
出発準備に慌ただしい朝、テレビで大変なニュースを知ってしまいました。アイスランドの火山噴火の影響で欧州航空網がまひしているらしいのです。スペイン語は分かりませんが流されている映像から判断出来ます。一瞬「我々は帰れるの?」と、不安がよぎります。そして後日それが現実になるなんて・・・。
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スペインの新幹線、鉄道にもセキュリティーチェックがあり驚きました。
列車内の広さは日本の新幹線と余り変わらないようです。左右2列シートの間に通路があります。座席は前後向かい合わせの4人掛けで、真ん中に窓の下から結構大きいテーブルが突き出しています。椅子はJRのように前後には回転しません。
各座席にキャラメル箱様の紙箱が置いてあり中にイヤホンが・・・。背もたれにあるジャックに差し込んで数チャンネル、音楽番組が楽しめるサービスですが、耳からよく外れるのですぐにあきらめました。
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ユダヤ人街には日本人観光客がいっぱいで、花の小径に至っては、まるで日本のお祭りのよう、日本人でごった返しています。これではユダヤ人街ならぬ日本人街?です。ヨーロッパやアメリカからの観光客がちらほら。彼らは嫌だったでしょうね。「失せろ、このアジア人どもめが!」って、聞こえて来そうでした。撮れた写真は誰が撮っても同じような・・・。
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メスキータ内部、教科書か何かで見たことあるけど実物は凄い。幾重にもしつこく連なるアーチに、あんぐり口を開いて天井を仰いだまま暫し・・・。もともとキリスト教の協会をイスラム教徒がモスクに改装し、その後一部をレコンキスタで再びカトリックの教会に転用、モスク中央部にゴシック様式とルネサンス様式の折衷の教会堂が建設され今に至っているとかで、こんな不思議で独特な建築物になったのだとか。年代はいつ頃?、控えるの忘れてた!。
投稿者 k444776 : 10:32 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月05日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (トレド・マドリッド)
4/16金曜日、4日目。今日は連泊、この部屋にまた戻ります。部屋を整え身軽な格好で出かけることにします。そして今日は、いよいよトレドと午後からマドリッドの美術館巡りです。グレコに会える、ピカソに会える、そしてゴヤにもベラスケスにもダリやミロにも。
いちばん楽しみな日なのですが、今日もまた雨。いつになったらスカッと晴れる?。出発直後のバスの窓から、誰の像か分からないまま撮ったショットですが、空の色が不気味です。
トレドに着く頃には、雨も小降りに。「これ位なら大丈夫」と、傘を持たずにバスを降ります。が、これが大誤算、後でひどい目に遭うことに・・・。
トレドは16世紀にマドリッドに遷都されるまでのイベリア半島の中心で、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の文化が交錯し、他では見られない特色ある文化が生まれたのだとか。
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そして、ルネサンス期のスペインを代表するギリシャ人画家エル・グレコが活躍した町としても有名。サント・トメ教会には、その代表作「オルガス伯の埋葬」が所蔵されています。実物は、予想してたより遙かに大きく重厚です。展示も環境とか雰囲気が大切ですよね。カテドラル内部もサント・トメ教会も写真撮影は禁止だったかな、と言うか、恐れ多くて、有り難くて、カメラ持ってること忘れていました。
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カテドラル前の広場で、サイクリング中の地元の少年達に遭遇します。
トレドは中世の街並みが残る迷路の町です。至る所に路地が・・・。
その後、また雨が降り出し傘を持たずにバスを降りたことを後悔、バスに戻った時にはずぶ濡れでした。
トレドの町を包み込むようにタホ川が流れていて、対岸沿いの道路は町を見渡す絶好のビューポイントです。径1km程の城塞都市は、実体以上の広がりを持って見る者を圧倒します。
午後はマドリッドに戻りいよいよプラド美術館、国立ソフィア王妃芸術センターへ。
プラドではベラスケスの「ラス・メニーナス」やゴヤの着衣と裸の「マハ」やグレコ、ルーベンス他を・・・、でも余りに広くて・・・、その割に時間が短くて・・・、急かすガイドさんにいらいら欲求不満をつのらせながら国立ソフィアへ移動。ここではピカソの「ゲルニカ」をはじめダリ、ミロと、邪魔なガイドさんの解説そっちのけで必死に見て回りました。でも広い・・・!。
その後、またも欲求不満を残してお土産やさんと王宮前広場へ。お買い物が楽しみの妻には悪いが、そんなのどちらもどうでも良かったのに。写真もどっちでも良かった。それよりもっと沢山もっと時間掛けて観たかったなあ。やっぱりツアーでは無理ですか。写真は1枚だけ「ゲルニカ」を。室外からなら撮影OKでした 。
投稿者 k444776 : 21:05 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月04日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (バレンシア・クエンカ)
4/15木曜日、第3日目。天気予報では、スペイン全土傘マークや曇りマーク。連日すっきりしない天気の旅行になりました。今日は、バレンシア観光の後、バスで200Kmばかり西へ。クエンカで観光と昼食、さらに170Km、マドリッドへ向かいます。
バレンシアではカテドラル、ラ・ロンハ、メルカートを見学。今のところ青空も・・・。
カテドラルとはカトリックの司教が居住する格式のある聖堂で、司教区の名称をとった都市に建てられているのが普通なのだとか。そして、バレンシアのカテドラルはイスラムのモスク跡に13世紀半ばから15世紀にゴシック様式で建築され、長い時代を経て何度も改修され、ゴシック、バロック、ロマネスク様式などいろいろな表情を持っているのだそうです。と言われても、何処がそうなのかよく分からない。
ラ・ロンハは、15世紀末に絹取引所として建てられたゴシック様式の建造物で、当時のバレンシアの経済力の大きさを偲ばせます。正面を入って直ぐの大広間は、美しい螺旋模様の柱がアーチ状の高い天井を支えています。ここで絹の取引がどのように為されていたのか興味が湧きます。分厚い壁、塔、銃眼が古城を思わせる、地味で重厚な造りです。中庭にはオレンジが植えられ、白い花がほのかにオレンジの香りを振りまいています。
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ラ・ロンハの向かい側にバレンシアの中央市場(メルカート)があります。1928年建設されたガラスドーム型の建物は周りの景観によく調和しています。新鮮な野菜や果物、肉やハム、魚介類を買いに来る人で朝から賑わっていました。
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バレンシアで1時間余り観光した後、マドリッドへ移動です。途中クエンカで観光と昼食。なんと慌ただしい。ゆったりゆとりが欲しいです。ガイドさんに連れられ、ぐるぐる回っているだけ、頭の中は未整理状態。後で写真を見て復習が必要です。
8世紀、イベリア半島はイスラム教徒に征服され、以後何世紀にも渡りこれを取り戻そうとするキリスト教徒との戦いの場となりました。レコンキスタ、キリスト教徒による、イスラム教徒からのイベリア半島奪回運動です。
スペイン中央部、フカール川とウエカル川にはさまれた険しい崖の上に、9世紀イスラム教徒によって築かれた要塞都市クエンカ、1177年にカスティーリャ王アルフォンソ8世により奪回されゴシック様式の大聖堂や家々が建設されます。険しい崖の上に石造りの家がところ狭しとびっしり並び細い路地が続きます。地震や崖くずれを何度も経験している私達には到低考えられない光景です。
投稿者 k444776 : 16:25 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月03日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (バルセロナ)
第2日目、バルセロナ市内を観光後バレンシアへ移動します。
時差ぼけの為か早く(ほとんど深夜)に目覚め、未だ暗い窓の外を見るとどうやら小雨が降っているらしい。朝食までたっぷり時間があるのでシャワーを浴びて服装を整え荷物の整理をしますが、それでも時間が余ります。テレビをつけてみたけれどスペイン語ばかりで内容がほとんど解りません。そのうち窓の外が白じんで・・・、やっぱり小雨模様です。
今回の旅行で一番楽しみにしていたのがガウディです。なのにこの天気、テンション下がり気味です。初めにグエル公園を散策し、その後バスの車窓からカサ・ミラ、カサ・バトリョを見て聖家族教会に向かう計画です。
グエル公園に着く頃には雨は上がり傘なしで大丈夫なようですが、「抜けるように真っ青な空、情熱のスペイン」をイメージしていたのに、なんとどんより眠そうなこの空模様は。天気のせいか早朝の為か人はまばらです。
市街には多くの建築家達が工夫を凝らした個性的な建物が軒を連ねています。そんな中で、ガウディは当時は実用的でないと評価が低かったそうですがやっぱり目を引きます。
車窓見学のはずだったカサ・ミラが、数軒おいて並びにあるロエベに買い物に寄ったので、バスから降りて観ることが出来ました。妻は当然ロエベで買い物です。その間一人で行ってきました。見学の人でいっぱいでした。
「前をちょろちょろする東洋人、邪魔なんだけどなぁ、早く退いてよーっ、もう!」って、同じツアーの参加者でした。
旅行雑誌やパンフレットの写真は、大勢のスタッフが関わり、時期や機材など万全の準備をして、最良の時間までじっくり待って決定的瞬間を捉えています。その写真を見て「行ってみたい、見てみたい」と思わせなければならないので当然です。で、行ってみたくなって・・・、「間違いなくその通り」なのですが「へーえっ、こんなものだったのか」とガッカリすることってよくありますよね。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)、思っていた程のスケールを感じませんでした。イタリア旅行でのサン・ピエトロ寺院やシステナ礼拝堂を訪れた時程の感動は湧いてきませんでした。
投稿者 k444776 : 09:29 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月02日
スペイン・ポルトガル10日間の旅 (出発)
2010年4月13日(火)関空7:50集合。09:50、ルフトハンザLH-0741便にてドイツ・フランクフルトへ。途中7時間の時差修正。17:40、フランクフルト着。12時間の飛行、読書とビデオ鑑賞。アバターとシャーロック・ホームズを観ました。でもまだ時間をもてあましました。フランクフルトでトランジット、19:35、LH-4460便にてスペイン・バルセロナへ。19:40頃バルセロナ着。入国審査は何処でしたのか思い出せない。いよいよ・・・、でも以前ほどドキドキワクワク興奮しないのは何故?。市街は8:00過ぎ、辺りはまだ明るい。
事前の、添乗員さんからの電話で、希に荷物を受け取れないことがあるので一日分は手荷物で機内に持ち込むようにと言う指示がありました。以前、同じコースを旅した知人がフランクフルトでトランクが行方不明になり、帰国2日前にやっと届いたと言う話を聞いていたので、果たしてバルセロナで荷物を受け取れるか心配でしたが、心配は無用でした。
ツアーが面白かったとかつまらなかったとか決まる要素の一つは、どんな人達が参加しているのかも重要です。今回は総勢25名だそうで、内一人参加が最高齢の元大学教授の男性一人、女性二人連れが2組、母娘連れが1組、夫婦連れが我々を含め9組、どうも我妻が最年少らしいと言う高齢の団体で、皆さん生活に余裕のありそうな、良さそうな方達ばかりのように見受けられます。
写真の中に同じツアーの参加者が数組見えます。独身時代住んでいた町のご近所さんだったらしいご夫婦や、旅行中、目障りで悩まされた賑やかで出しゃばりで図々しいあの夫婦も・・・。後で写真の整理中に気が付きました。
整理した写真、あまり人が撮ってないようなのをセレクトしてアップしていきます。
投稿者 k444776 : 14:17 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年05月01日
コーヒーにビスケット
近所のショッピングモールにあるスターバーックスでコーヒーとビスケットをいただきました。ブラックコーヒーに甘いビスケット、なかなか良いものですね。スタバに行ったのは、先日、妻とツアーの旅行に参加してその時のお土産を友達に渡す為でした。ツアーの団体旅行に参加するのは久々です。妻との旅行も久々です。
今回のツアーは熟年対象のツアーらしく飛行機はビジネスでした。それで、搭乗までの僅かな時間を、ラウンジでゆったりと、これから始まる旅に思いを巡らせガイドブックに目を通すなどして過ごします。こんな時、一人や友達との場合はたいていビールにナッツなのですが今回は妻と一緒です。遠慮してコーヒーにビスケットやクラッカーで我慢です。ですが、コーヒーにビスケットも良いものだとその時も思いました。それで、帰国後スタバで改めて試してみた次第です。
投稿者 k444776 : 13:45 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年04月06日
入学式
珍しく、朝から散歩に出かけました。近所の小学校の辺りに差し掛かった時、何だか制服の板に付いていない小さな小学生達が、小学校の校門を目指して必死な形相で懸命に駆けて行くのに出くわしました。しばらくして後から親達らしい大人の集団が何やら夢中におしゃべりしながら校門に吸い込まれて行きます。そうか今日は小学校の入学式か。一瞬、様子を見てみたい衝動に駆られましたが、入って行って不審者と思われるのも・・・と踏み止まりました。
さらに散歩の足を延ばし隣の小学校までやって来ました。ここでは、小学校に続く満開の桜のトンネルを、花びらの風吹を浴びながら、新入生らしい女の子が両親に連れられて学校に向かう姿に出会いました。いかにもなシチュエーションに、いかにもな親子、ほほえましく思って、少し距離を置いてですが、しばらく一緒に歩きました。その家族を携帯で・・・。
この子達、夢いっぱい、可能性もいっぱい。「がんばれ!」と、心の中でエールを送りました。
投稿者 k444776 : 17:44 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年04月05日
同窓会の案内が届いた (下)
この頃、年なのか昔のことをよく思い出す。良いことあまりなかったし、反省する事もいっぱいあるし、だからあまり思い出したくない。なのに、同窓会の案内が届いたのがきっかけでまた思いだしてしまった。届いた案内は小学校6年当時の同窓会。
その頃の私は運動は苦手だったけど勉強はそこそこ出来た。人の解けない算数の問題なんかがすらすら解けたりした。でも、授業は図工以外は嫌いだった。授業中も何かを作る事ばかり考えていて、先生の話は上の空だった。国語と社会は無茶苦茶で、漢字、ローマ字は最悪だった。
私達の教室には担任の先生が揃えてくれた学級文庫があり、その中には図鑑とか事典類、伝記などの読み物に混じり「子供の科学」と言う雑誌があって、それが私の愛読誌だった。ほぼ私の独占状態で、私の為に揃えてくれていたようなものだった。
その「子供の科学」の中に折り込みのページがあって、色々な物を作って仕組みを理解していくと言うような内容で、ラジオ、発電器やモーター、湿度計や照度計、カメラなどの作り方が、毎号、図や写真入りで易しく説明されていた。作るにはそれなりの道具や材料が必要で、お金の無い私は、お正月に、伯母さんにお年玉を貰ったらやってみようと期待に胸を膨らませ楽しみにしていた。でも、お正月の後、お年玉は親の手に渡り、私の手元に戻ることはなかったのでどれも作ることは叶わなかった。私のお年玉は家計の一部に化けてしまていたのだった。貧乏の悲しい思い出である。
桜もそうだけどレンゲはもっと花が密集してないと・・・。カメラはCASIO QV-R4 400万画素、発売日は2002年7月、いかにも古いです。処分し損なって今も手元にあります。
投稿者 k444776 : 09:53 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年04月04日
同窓会の案内が届いた (中)
クラスメイトと一緒に遊べるようになるのは、稲刈りが終わって農閑期、田んぼに仕事がなくなり野良仕事から解放される頃だった。
当時の遊びは野球が中心で、放課後の校庭は、各クラスが自主的に結成したチームが競って場所を取り練習をしていた。元々が狭いグラウンド、場所取りは大変だった。やっぱりバックネットの所が一番人気で、よく他のクラスとケンカになりかけたりした。それでもそれなりのルールがあってケンカの代わりに試合になったりもした。練習にあまり参加していなかった私は下手くそだったし、だから野球はあまり好きではなかった。でも、それをやらないと誰も遊んでくれない。下手くそ呼ばわり、お荷物呼ばわりされながら、いやいやチームに参加した。いつも守備はライト、打順は8番、人数が余る時は補欠だった。
遊びに女子が混じる時はドッジボールをよくした。そんな時、ええ格好するのは運動の出来る背の高い子で、それは野球の時も同じ人物、これは世の常である。背も高くなければ運動神経も並以下の私は影が薄く、グランドに私の活躍できる場面はなかった。私のクラスの女子は活発で、男女混合になると我がクラスは強かった。そして大人になった今、どうやら、同窓会もその女子達が積極的に引っ張っているらしいと、案内状から推察できる。
数年前、サクランボの種を庭の隅に埋めておいたら、今頃芽が出てきました。写真、ピンぼけですね。
投稿者 k444776 : 16:35 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年04月03日
同窓会の案内が届いた (上)
今年も小学校の時の同窓会の案内が届いた。数年前から毎年、もう数回開催されている(らしい)が、一度も出席したことが無い。それどころか、ここ数回は出欠の返信、近況報告すら出していない。
幹事さんの名前を見てもすぐには思い出せない。数十年のギャップを埋めるべく脳が回転を初め、耳や鼻の穴から湯気を吹き出さんばかりになった頃、やがて徐々にギャップが縮まって、幼い頃の屈託のない友の顔が浮かび上がって来た。「あいつ、今何をしている?どんな大人になっているかな?」、「あの子は今も変わらず可愛いのかな?」、とか・・・。
同窓会に参加しないのは、当時をあまり思い出したくないから。友達がいなかった訳でも、ましてやいじめられっ子だった訳でもない。担任の先生は女性で厳しい方だったけど可愛がって頂いていた。「星空の観察」と称して、仲良しグループで先生のお宅にお泊まりし、夕食をご馳走になった後、観測そっちのけでトランプゲームなどで楽しんだりもした。今だと考えられないことだ。
戦後、復員した父に仕事が無く家は貧しかった。父は百姓の出だったので親戚の土地を借りて米を作っていたので、主食には困らなかったけれど現金収入は無かった。父は私を田んぼに連れて行った。遊びたい盛りの私はそれがいやだった。田植え、草取り、畦の草刈りから秋の刈り入れまで、私を手伝わせた。這いつくばって泥まみれになるのは惨めだったし、何より、田んぼには私と同世代の子供は誰もいなかった。周りの大人たちは可愛がってくれたけど、遊べる相手がいないのは不満だった。
投稿者 k444776 : 08:16 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年04月01日
管球アンプ (下)
つないであった6BQ5PPから、今回こちょこちょこっと制作した6CA10シングルにつなぎ替えて・・・。やりました、一発成功・・・!・・・あれっ?。音は出たのですが、ついでにハムまで・・・。やっぱりシングルは難しいですね。
それから、考えられることあれやこれや試してみましたがハムは消えません。折角きれいに配線してバインドまでしていたのがぐちゃぐちゃになるし、コードの被膜が半田で焦げて見苦しくなるし散々です。もう一度一からやり直しかな、でも気持ちがなえてそんな気力は残ってないし・・・。
それでしばらく放り放しにしていたのですが、ふと「ひょっとして!」と、ひらめいて6AU6を別のに差し替えたら「ん?」、何かハムが小さくなったような気がします。それで手持ちの6AU6を何本か差し替えてみるとハムの大きさがそれぞれに違います。最も小さいのにして何とか気にならない位にはなったでしょうか。でも、シャーシの中はぐちゃぐちゃでこれを使い続ける気にはなれません。時を隔ててやり直すことにしました。で、ジャンクボックスに逆戻りです。
投稿者 k444776 : 08:53 | コメント (0) | トラックバック (0)
2010年03月25日
管球アンプ (上)
いろいろ作っては暇つぶしを楽しんでいますが、新しい材料をそろえると出費がかさみます。それで、手持ちのがらくたをあさっては「何か楽しめないかな?」とか考えます。
手持ちの物のほとんどは、かつて興味があって手に入れたものの、忙しくて時間がなかったり、資金不足だったりして、でも捨てるのはもったいないし、時間が出来たら再チャレンジしようと思って捨てずに置いてあった物です。その中身はオーディオの部品、写真、版画や彫刻などの材料や道具がほとんどです。パソコンの部品は少し置くと古くなるので処分してしまって残っていません。
錆びたパワートランスとチョークをゴールドに再塗装、アウトプットトランスはカバーを作って隠しました。そのカバーとシャーシはシルバーハンマートーンに塗装しました。肝心の真空管は6CA10シングルを6AU6でドライブしました。6CA10はNEC製で50CA10のフィラメント6.3Vの真空管、どちらももうとっくに作られていません。ネットオークションに時々出品されていますが結構なお値段で取り引きされています。
写真は製作した6CA10シングル・ステレオ・パワーアンプです。これからつないで視聴します。
投稿者 k444776 : 18:29 | コメント (0) | トラックバック (0)
